昭和の初め、大阪の人口増加と建築技術の発達などを背景に、長屋が大量に建てられました。当時は斬新な都市型の住宅でした。そして100年たった今、この長屋は貴重な存在となり、リノベーションして住みたい、お店や工房にしたいと注目を集めています。現在の阿倍野区や東住吉区はその動きが盛んです。
田辺通信では、その道の第一人者のお話しを交えて、大阪に長屋が建てられた歴史やその魅力、使用する際の注意点について、ご紹介します。
戦前の長屋の歴史
昭和のはじめ、当時の大阪の郊外に長屋が建ち並びました。その頃の阿倍野区や東住吉区は旧集落以外は一面の田畑で、そこに碁盤目の道路や上下水を整備して敷地が生み出されました。
当時の大阪市長の関一(せきはじめ)さんはこの土地区画整理という方式を都市計画事業として積極的にとりいれ、大阪での第1号が現在の阿倍野区の阪南地域で大正13年に事業が始まり、各地に広がっていきました。そして整然とした区画に伝統的な町家様式を継承した木造共同住宅が、ルールに基づき次々に建てられた結果、長屋の町並みが形作られたのてす。
長屋の質を高めた建築のルール
ルールは、明治時代の終わりに大阪府が定めました。当時としては先進的で、長屋を建てる時は塀は前の道路から1.5尺(約45センチ)後退した位置とすること、敷地の4分の1は建てずに余裕をもたせること、棟と棟の間は3尺(約90センチ)あけるとしました。その空間は建物の密集を緩和し、便所から排泄物を汲み取るルートや火災時の避難路として使用されました。また、天井の高さは7尺以上とすること、2階の壁は前の道路から9尺後退すること、便所を設けることなどが定められました。
長屋を建てた人々、住んだ人々
建築大工と呼ばれた人たちが長屋の設計と施工を行ないました。地主から依頼を受けて建てたり、土地を借りて建てて売りしたり、自ら貸主となるケースもあります。今で言うディベロッパーですね。住んでいた人の職業は、工場などの作業従事者から会社の事務職、役所勤めなど様々でした。当時の中産階級の人々です。
昭和の初めには建築技術もすすみ、また差別化のため洋風のデザインも出てきます。設計事務所を起用して、通りに面して応接間をとり洋館風にする長屋や、立派な前庭をもつ屋敷のような長屋など、様式は多様になっていきます。
とある長屋の間取りの例
欄間のある木戸門を入ると前栽があり、玄関を上がると三畳ほどの板間、その隣に炊事場(台所)と二帖程の茶の間、四帖半の食事室・居間が続きます。居間からは縁側を隔てて坪庭がみえます。縁側を通って坪庭に面した便所に至ります。
そして居間の横にある階段から2階に上がると四帖半、六帖の二間が続く、今でいう2LDKのプランです。建具は引き戸で開け放てば風が通ります。居室には押し入れはもちろん、床の間も設けられている長屋は珍しくありません。
このように、長屋とは町家の壁をくっつけて集合住宅にしたイメージです。この例は小~中規模で、さらに大きなタイプもみられます。質の高い定住型の住宅として今でも遜色ありません。
出典「まちに住まう(平凡社)333頁 図2長屋の設計図面 建売大工が作成した粉浜地区の長屋
田辺にいる3人の長屋の達人に聞いた、長屋の魅力と注意点
田辺地域には、長屋のことを知り尽くした強者がいます。大正13年に創業した丸順不動産の三代目として不動産の立場から長屋と向き合ってきた小山さん、大工の棟梁であった祖父の時代から日本古来の在来工法を日々極めている大長ハウスの松峯さん、そして住み手本来の住まいづくりを追求したコーポラティブ方式を手掛け自身もリノベーションした長屋で暮らす建築家の伴さん。
このお三方に、近畿大学で建築や都市の再生、リノベーションを研究されている建築家(SPEAC)の宮部浩幸さんを交えて、長屋の良さと注意点について語っていただきました。
「大阪の長屋の魅力の一つは玄関に前栽があることです。庭を通じて前の通りや街とつながっている感覚。子どもたちが自然に集まってきて、地べたにチョークで絵を描いたりしてる気配がわかる、家の中と外との近さ。密度高く町に住んでいる実感があります。(伴さん)」
「トラディショナルな和室は落ち着きます。そして長屋の奥に自分だけの庭があるというのも贅沢だと思います。プライベートな庭があって、縁側があって。でもお風呂を設けるためにはその坪庭をつぶさないといけなかった。リノベーションすると元の庭を復活させている例が多いですね。(宮部さん)」
「長屋の昔ながらの外観をちゃんと維持している通りは、周囲の町並みによい作用を与えていると思います。自然の素材感とか、町並みの統一感。軒の高さやスカイライン、がそろっているたたずまいは落ち着きます。外壁や塀を道路から一尺五寸引いていることが、密集している都市空間にゆとりをもたせ、一方で家屋と道路の程よい距離感を生み出しているように思います(小山さん)」
道路に面する部分を閉ざすのでではなく、つながるうような作り方をすることで、まち全体を人間的でやさしい空間にしているのですね。長屋だと、家の前に縁台を置いて夕涼みしても違和感がありませんね。また坪庭や通り庭があることで家の中に通風しや光のとり入れができるだけでなく、豊かな空間となるのですね。でも、もちろんデメリットもあります。
「このような古いタイプの家に住んだ経験があるかお聞きすると、無い方が多い。だから、段差があったり、古い建具は不便であったり、断熱性能が低いこと、お隣の音が聞こえやすいことなどを先に全部説明します。 (小山さん)」
「不動産としての所有形態が隣どうし異なるケース、たとえば隣は借家だけどこっちは持ち家といった場合はリノベーションの際に設計もやりにくい面があります。(伴)」
「長屋を購入する際に住宅ローンを借りにくい面があります。本人の与信も十分で自己資金もあっても、担保率が低く査定されるからです。その点、京町家には行政の制度があって、京都中央信用金庫をはじめ金融機関が貸しやすくなっています。京は町家を大切にして制度面で守っているのです。(小山)」
「気をつけてるのは排水です。長屋ではトイレの排水管を隣家と共用しているケースが多く、できれば排水管を独立するように変えたいのですが、建物の奥にあるお風呂やトイレの排水を表の道路の下水管につなぎ直そうとすると勾配(角度)が確保できなかったり、間取りを丸ごと変えたりする必要も出てきます。また、耐震改修については、たとえば四軒長屋の場合は四軒丸ごと、つまり一棟で診断を行う必要があり、四軒そろって改修するのがベストです。でも実際は難しい。 (松峯)」
「知識や経験のある工務店や設計者が改装した建物だと庭を復活しやすいけど、継ぎ足しでトイレやお風呂を増築した場合は手に負えない場合もありますね。(宮部さん)」
長屋がとても良いと思っても、耐震性に不安がある場合はどのように考えればよいのでしょうかと、むずかしい質問を投げかけてみました。
「長屋に限らず、1981年以前の建築物は最新の耐震基準(建築基準法の耐震基準)に当てはまりません。ただし長屋は昭和19年、昭和20年の南海・東南海地震(マグニチュード7.9)の際も持ちこたえ、その後70年以上も使われてきた建物です。そのことをお伝えし、設計事務所の方と建物の傷み具合を実地に調べて適切な改修方法を相談します。(小山)」
「改修を行う際には可能な限り強くすることを意識しています。たとえば壁の量を増やすとか、筋交いを設置するなど、現実的な対応を行っていきます。(伴さん)」
松峯さんの会社では家の中に耐震シェルターをビルトインする「j-pod」を採用されており、この座談会もその一室で開催しました。
さて、長屋の魅力の一端を感じていただけたでしょうか?
長屋は柱と梁で構成された空間を土壁、木や紙を用いた建具で自在に仕切り、湿度、雨、風といった日本の風土の中で暮らすための環境を調整する知恵がつまっています。老朽化などにより気密性が低くなっている点は一つの課題だと書きましたが、気密を高めて装置で環境を制御をしようとしている現在の家屋がもたらす弊害もあるわけです。
お話をお聞きして、建物のことは本質がわかっているプロに聞くのが一番だと感じます。住宅の寿命はかつて30年にも満たないことが社会的に問題になりました。その点、長屋はすでに昭和の初めから80年以上も生き延びてきました。その点を評価してできる改修を加えていく視点が大事ですね。
また、理解のある家主さんから借りるのがおススメです。そしてプロの仲介者のもと、家主さんと互いに資金を負担して、長屋の魅力部分を回復しつつ新しいライフススタイルに合った空間にリノベーションする作業を、その道の設計者や工務店さんと共同で行うことが大事です。
再生されて使われ続ける長屋の例
旧田辺地域とその周辺にあって、リノベーションして使われ続けている長屋をいくつか紹介します。
平屋建て洋風長屋(阪南町5丁目)
二階建て洋風長屋(物販店舗、阪南町一丁目)
二階建て洋風長屋(飲食・物販店舗、阪南町三丁目)
四戸長屋の裏庭を一体にリノベーションした例
長屋保全と再生の先進事例、寺西長屋(飲食店舗、阪南町2丁目)
現在の生活に合わせて室内をリノベーションした長屋(昭和町4丁目)