大阪・阿倍野区の西田辺町 1 丁目に、神社やお寺などの建物や調度品を製作する㈲上杉社寺匠芸(うえすぎしゃじしょうげい)という会社があります。筆者の町会の夏祭りでお神輿を担ぐ台が破損し、どこに修理に出せばよいか困っていたところ、それなら上杉さんと紹介いただき見事に直していただきました。
創業 180 有余年の事業者さんが西田辺にあるなんて!そこで、先代の伴侶で今も家業を支える上杉順子さんにお願いしてお話を伺いしました。
神具の製造販売から社寺建築への苦労の道のり
創業は幕末、さ天保6年(1835 年)現在の大阪西区立売堀 1 丁目で、 初代、和助が神棚や神具・お三宝などの製作販売をはじめました。当時、立売堀は木材や木工関係の仕事を生業にする人が多く集まる場所でした。神棚などをつくるための木材は店横を通る堀割から舟が入ってきて店内に運び入れていたそうです。
創業の翌年に出版された地図で水の都・大阪の当時の姿がよくわかります。白い枠で囲んだ場所が立売堀です。古地図の下の写真は1937年(昭和12年)の立売堀1丁目付近を撮影した写真です。川面に材木が浮かび、当時の様子が伺うことができます。
立売堀から阿部野へ移ったのは、太平洋戦争時の大阪大空襲によりお店を消失したからだそうです。和歌山へ一時避難した後、先々代が戦地から戻って来たのを機に、阿部野筋の中道市場の三畳スペースでお店を再開されました。元のお店の10 分の 1 以下の場所からの再出発でした。
戦後の復興と共に社業も順調に回復し、昭和 44 年に先代のご主人が西田辺に新店を開設し現在に至ります。
しかし、 神棚神具の需要が徐々に落ち、廃業する同業者も増えていきました。今、大阪では神具店は十数件しか残っていないとのこと。「先々代の頃、大阪が神具店の数では日本一を誇り、百件以上はお店があったと聞いておりました。時代の流れで神棚を祀る方も減っていき店の後を継いでも親子世帯が食べていくのも難しい状態になり、先を考えて子どもには後を継がせないというお店が多くなってしまったのですね。」
そういう状況もあり先のことを案じた先代のご主人は、 師匠はいない、建築の知識や技能もない、という中で仕事の合間に独学をつづけて社寺建築の道を歩みはじめられたそうです。
最初は、多くの失敗や大怪我も経験され大変苦労をされたようですが、 信用と実績を積み上げていくことで、徐々に神社やお寺から 大きな仕事を任せてもらえるようになったそうです。近い場所では、あびこ観音さん、阿部野神社さん、阿倍王子神社さんで上杉さんの仕事を見ることができます。
経験と「好き」が支える上杉社寺匠芸の細やかな仕事ぶり
西田辺のお店では今でも神具の製作販売を行っていますが、 現在は主に住吉区と松原市にある工作所で 数名の職人さんと共に社寺建築・神仏具・神輿・仏像などの製作や修復などを中心に手がけられています。神社やお寺の方のお住いも請け負う関係で、 現代的な住宅建築も手掛けられているそうです。
西田辺のお店は販売店というよりは、順子さんのアトリエのような場所。木工以外にも、彫刻・塗装・彩色・金属加工・金箔押し・縫製・御簾の仕立て・注連縄の製作・提灯の絵入れ文字書きなど多彩に手掛けられています。
「一つひとつ造作も意匠も異なりますから、部品がないものは色々工夫して自分で製作します。古いモノを分解してみて、その仕組みを研究し製作します。専門の資格はありませんが 生まれつき手先は器用で、主人の仕事を手伝うなかで色々な技を覚えていきました。彫刻や金属加工などは仕事が終わってから習いに行ったり。亡くなった父親が指物職人でして、幼い時は父親の仕事を直接見たり仕事場で遊びながら木材や道具に触れていた環境もあってモノ作りには元々強い関心があったのだと思います。専門の業者さんに全部外注すると相当な金額になるので、少しでもお客様に手が届く価格で製作修復できるようにと思い自分でできることは自分でやろうとはじめましたが、今思うとモノ作りが好きだからできているというのもあります。」
取材に訪れた日も、神祭事に重要なアイテムである注連縄を製作されていました。
「まず注連縄に適した稲藁を確保するために農家に出向いて材料を確保します。それを持ち帰り工場いっぱいに広げて乾燥させてから、長さを揃えて質の悪い藁を除く『藁すべ』作業を行います。これは手作業で大変な手間がかかります。これまで注連縄製作の全てを農家の方にお願いしていましたが、製作する方の高齢化と米作りの担い手不足などの事情もあって、製作をお願いできなくなりました。 他にお願いできる所はないかと探しましたが、全て外注すれば費用も高くなるので、当社でも製作することにしました。注連縄製作に関しては、かなりの腕前だと思いますよ。」
実際に見せて頂きましたが、素人ではとてもできない作業です。これは熟練の技が必要だと感じました。
地域の文化財を支える職人たち
現在、上杉社寺匠芸さんでは、代表を務められる 7 代目の息子さんの元で 20 代から 70 代までの 6 人の宮大工・宮師さんたちが働いています。 皆さん木工の技だけではなく、木部洗い・塗装・足場組立・銅板加工・土木作業なども行います。中には京都の著名な仏師のもとで修業し仏師と宮大工を兼業する方もおられます。
多彩な職人集団は、依頼があれば各地に出向きます。公的な有形文化財の修復ばかりではなく、地域にある神社やお寺、お祭り、家庭や企業で使用される祈り造形物や信仰用品の製作修理保全を一手に引き受ける、上杉社寺匠芸さんは地域文化をモノづくりから支えている貴重な存在です。
●㈲上杉社寺匠芸(うえすぎしゃじしょうげい)
大阪市阿倍野区西田辺町1-21-10
06-6694-4157
●我孫子工作所
大阪市住吉区庭井2丁目20─3
本記事の執筆・添削にあたっては上杉社寺匠芸様に多大なご協力をいただきました。