大阪で唯一の模擬原爆被災地 田辺の戦災記憶を未来に伝える恩楽寺と本堂修復への思い

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大阪の田辺に落とされた模擬原爆――知られざる戦争の記憶

1945年7月26日午前9時26分、大阪市東住吉区田辺のまちに、B29から一発の巨大な爆弾が投下されました。
それは各地の空襲に使われた爆弾ではなく、長崎に投下された原子爆弾と同じ形・重量を持つ「模擬原爆(パンプキン爆弾)」でした。つまり原爆投下にむけた訓練が行われたのです。

原爆投下訓練のための爆弾とはいえ4.5トンの巨大な実弾であり、田辺では多くの住民が被害を受け、尊い命が失われました。全国各地に投下された模擬原爆による被害も含め、この出来事は戦争がもたらす惨(むご)さを今に伝えています。


しかし、模擬原爆の存在は長く広く知られることがありませんでした。地域の人々による調査や証言の記録によって、少しずつその歴史が明らかになり、現在へと受け継がれています。

今年も恩楽寺で開催された「田辺の模擬原爆追悼式」

あれから81年。今年も恩楽寺を会場に、犠牲になられた方々を追悼し、戦争の記憶を未来へ伝える「田辺の模擬原爆追悼式」が開催されました。

1999年から地元有志の手で始まった追悼式は当初、投下地点(田辺小学校の北付近)近くの、模擬原爆の碑が設置されていた場所で行われていましたが、碑が移転を余儀なくされ、恩楽寺が引き受けてくださいました。そして、それには深い理由がありましたが、後程。


例年式典には、地域住民をはじめ、学校関係者、平和活動に取り組む団体、研究者など多くの人が参加。模擬原爆の歴史を紹介する映像が紹介され、投下時刻に合わせて黙祷が捧げられます。

また、当時の被害を知る体験者が参加し、爆発によって空が真っ赤に染まったことや、爆風で家屋が被害を受けた状況を証言しました。こうした生の声は、地域の歴史を次世代へ伝える大切な役割を果たしています。

児童・生徒による平和メッセージも発表され、身近な地域で起きた戦争の事実を学び、語り継ぐことの重要性が確認されました。

今年は、実物大のパンプキン爆弾パネルの展示が行われ、参加者は田辺で起きた出来事について改めて学び、犠牲者への追悼とともに平和への願いを共有しました。

恩楽寺で毎年続けられる追悼式は、模擬原爆の記憶を風化させることなく、地域から平和への願いを発信する大切な場となっています。

爆風を受けた本堂は、田辺の歴史を伝える「生き証人」

ところで恩楽寺は、長い歴史の中で地域の人々の祈りと暮らしを支えてきた寺院です。戦国時代には戦乱の中で逃げ場を失った田辺の人々が避難したと伝えられます。

模擬原爆投下で家々が吹き飛ばされ、爆心地に近い恩楽寺も屋根が吹き飛び、建物全体が南側へ傾く被害を受けましたが、被害者の追悼の場とするために、門徒や地域の人々は爆風による「傾きを残したまま」本堂を急ぎ修復しました。

このように災禍の中で心のよりどころとする場所でもありました。

現在も残る傾いた柱や建物の姿は、戦争の記憶を伝える「生き証人」です。これは単なる古い建物ではなく、田辺の歴史と平和への願いを後世へ伝える貴重な遺構です。

記憶を未来へ残す――恩楽寺本堂修復へのご協力のお願い

しかし多くの人々の拠り所となってきた本堂は長い歴史の中で、劣化やシロアリ被害などが進み、修復が必要となっています。そこで、史実を残しながら安全に保存する方法を選ぶことに。この度の修復事業では、大屋根を修復し、外骨格で耐震補強して、戦跡である斜めになった柱をそのまま残します。


この取り組みは、一つのお寺を守るだけではありません。田辺で起きた戦争の記憶、犠牲となった方々への祈り、そして平和への願いを未来へ引き継ぐための活動です。

宗派や立場を超えて、多くの方々に支えていただきたい地域の歴史保存活動として、恩楽寺本堂修復への温かいご協力をお願いいたします。

寄進の方法はこちらでご確認ください。 https://www.onrakuji.com/

出典:恩楽寺公式ホームページ、田辺模擬原爆追悼式典

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この記事を書いた人

地域に密着するスタイルでまちづくりのコンサルティングに従事。その経験を活かして大阪ミナミの戎橋筋商店街の事務局としてエリアのプロモーションやリノベーションに取り組んでいます。一住民として地域活動では阿倍野区~東住吉区のbuylocal活動、町会活動、小学校での伝統野菜指導やまち歩きなどを行っています。

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