住吉大社の神馬(しんめ)と田辺(東住吉)と、うどんや風一夜薬のお話

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住吉大社の神馬(しんめ)と田辺郷とのつながり秘話

出典:にんやか田邊(吉村直樹氏蔵)

初詣、夏祭りでおなじみの住吉大社。1800年の歴史をもつこの摂津国の一之宮は、一年を通じて多くの神事が執り行われ、奉賛会や住吉講とよばれる団体が支えています。

年始から4つ目に行われる「白馬(あおうま)神事」は、白馬がすべての本宮を巡回、年始に白馬を見ると邪気が払われその年は無病息災でいられるので、多くの方が「白雪号」と名づけられた白馬を一目拝見しに参詣されます。

https://www.sumiyoshitaisha.net/events/annualevents/01.html

ところでその白馬とは、住吉大社に祀られている神功皇后が朝鮮半島から持ち帰ったとの言い伝えがあります。その後、住吉大社には様々な人が白馬を寄進しました。後白河法皇や源頼朝はじめ歴史上の人物が名を連ねます。江戸時代からは大阪の炭屋仲間の神馬講が奉納されています。

ある日のこと、その白馬が行方不明となり田辺郷の畑でみつかり、それ以来田辺の人が馬の世話を仰せつかったという伝承があります。また、田辺郷を開いた田辺氏が神功皇后ゆかりの土師氏と同族であったことから、白馬の飼育を仰せつかったとも言われています。

いずれにせよ、北田辺と南田辺の各3軒ずつの舎人が白馬を世話し住吉さんに連れて行きました。これは戦後まで続いていた実際のお話しです。写真の場所は実際に南田辺の馬にあった厩舎のあとです。

住吉大社から田辺郷に至るお馬道のルートとは

住吉大社から田辺に至る道は図の通りです。土地区画整理事業により古道はずいぶん失われましたが、西田辺駅の周辺や南田辺の旧集落にその痕跡をみることができます。

明治18年地形図

こちらの写真は大阪市立長池小学校の横の道です。曲がりくねっています。小学館は今から90年以上も前に長池を埋め立ててできました。池の堤の道を白馬は通っていたのですね。

そこから山阪神社に至ります。山阪神社は今から約1100年以上も昔(平安時代)に書かれた書物に登場します。この地域に住んだ田辺氏の祖先である天穂日命(アメノホヒノミコト)と、野見宿禰命(ノミノスクネノミコト)がまつられています。こちらの境内も通りすぎ、南田辺商店街のアーケードへと道は続きます。

南田辺商店街は「下高野街道」とよばれた古道です。

アーケードを過ぎて性応寺のお堂を過ぎた右手に駐車場がみえてきます。ここに南田辺の厩舎があったそうです。

うどん屋風一夜薬と神馬塚

亡くなった馬のお墓は神馬塚に埋蔵されてきました。この土地は住吉大社の所有地で、神馬塚をお世話されているのはお隣にある「うどん屋風一夜薬本舗」さんです。

うどん屋風一夜薬本舗は明治9年(1876)に創業、風邪に効能のある薬を考案します。温かいうどんを食べてさっと一晩寝るのが一番の養生であるという考えを商標にして、薬局がない当時にうどん屋さんに置いてもらったそうです。こちらの薬屋さんは、坪井榮の小説「二十四の瞳」の中に登場します。

https://www.kazeichiyakusuri.co.jp/rekisikan/0405_rekisitoyurai_tpo.htm

神馬ウォークが11月23日(祝)に開催されます。

このお馬道を実際に歩いてみようというイベントがあります。11月23日13時30分に南田辺の法楽寺をスタートし住吉大社まで歩きます。参加費は無料、少雨決行です。興味がある方は法楽寺に集合してください。連絡先は下記から。

主催は「にんやか田邊」、後援は東住吉区役所、協賛は南田辺商店会

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この記事を書いた人

地域に密着するスタイルでまちづくりのコンサルティングに従事。その経験を活かして大阪ミナミの戎橋筋商店街の事務局長としてエリアのプロモーションやリノベーションに取り組んでいます。一住民として地域活動では阿倍野区~東住吉区のbuylocal活動、町会活動(防災担当部長)、小学校での伝統野菜指導やまち歩きなどを行っています。2013年から2022年まで大阪公立大学観光産業戦略研究所客員研究員。

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