田辺のお不動さんとして親しまれる法樂寺は、およそ850余年の歴史があるお寺です。境内には、由緒ある建物や宝物、地域に開かれた施設など、見どころがたくさんあります。この記事を手がかりに、参拝とあわせて境内を巡ってみてください。
(記事は2026年1月現在の内容です。最新情報は公式ホームページ及びSNSでお確かめください。)

源平ゆかりの法楽寺の歴史とご本尊
法樂寺は、平清盛の嫡子である平重盛が、治承2年(1178)に創建したと伝わります。
重盛は、中国宋代の臨済宗の禅僧・仏照禅師の教えを聞き、黄金三千両を祠堂料として送りました。さらに、紫金の舎利二顆をいただき、寺を建立して納めたとされています。
創建の趣旨は、保元・平治の乱などで戦死した平家・源氏双方の霊を、怨親平等に弔うことでした。源為朝の持仏であった如意輪観音菩薩を安置し、熊野詣の途中に落成法要へ立ち寄って、源平両氏の菩提を弔ったとも伝えられています。
御本尊は大聖不動明王(田辺不動尊)です。地域では「たなべのお不動さん」として親しまれ、不動信仰を軸に、護摩供や写経などの修行体験、縁日にあわせた参詣で境内が賑わいます。
当寺で出家した方として、慈雲尊者(じうんそんじゃ、1718-1804年)が挙げられます。サンスクリット語を研究し、生涯を通じて仏教の教義と実践の普及に尽力したといわれています。
また、国指定重要文化財「絹本著色 不動明王二童子像」(平安時代・12世紀)は「青不動」図様の貴重な文化財で、大阪市立美術館に寄託されています。

本堂と山門は武家建築?その魅力とは
静寂に包まれた広い境内にはさまざまな建物があり、歩いて巡る楽しみがあります。奥の本堂は、山門や鐘楼とともに、復興期に大和宇陀松山藩織田家から譲り受け、移築されたと伝えられます。
大和宇陀松山藩は、現在の奈良県宇陀市にあった藩です。江戸時代初期に設立され、織田信長の次男の子孫である織田信雄が治め、その子孫が藩主を務めました。
しかし、元禄8年(1695)に4代藩主信武の時、藩政内部の対立から重臣らを成敗し、自らも自害する事件が起こります。これにより織田家は丹波国の柏原へ国替えを余儀なくされ、宇陀松山藩は廃藩、織田家ゆかりの建物も取り壊しとなります。
一方、法樂寺は織田家による大阪攻めの兵火(1571)で伽藍を失った後、復興します。今の羽曳野市の野中寺から入寺した洪善普摂(こうぜんふしょう)により、1711年に本堂が再興されました。この際、取り壊しにあった織田家の建物の一部が用いられます。
一般的な寺院建築とは異なり、書院造りの武家の御殿であったため、緩やかな屋根や、接客空間としての穏やかな雰囲気を感じられます。

法楽寺が解く怨親平等とは?そのシンボルは軒の家紋瓦に
ところで、本堂の横には、家紋を刻んだ瓦の展示があります。境内の見どころの一つです。
展示には、平家の揚羽蝶(あげはちょう)紋瓦、源氏の笹竜胆(ささりんどう)紋瓦、さらに本堂移築先にちなむ織田家の木瓜紋瓦もあります。法樂寺は重盛が建立し、源為朝の持仏も安置されたと伝えられる一方、戦国時代には織田信長の焼き討ちに遭い、伽藍を焼失しました。
それでも当寺では、怨親平等の精神をもって、それぞれの家紋の瓦が用いられています。怨親平等とは、親しい人にも、害を与えた人にも、平等に供養すべきだとする仏教の考え方です。本堂脇の展示や本堂の軒瓦など、これらの紋を探してみてください。



三重の塔前にある巨石の謎~玉山金山の岩と椿奉納
山門を入ると正面に三重の塔が立っています。平成8年(1996)建立と比較的新しい建物ですが、時を経て飴色に輝いて見えます。ご本尊は大日如来です。
塔の前には、岩手県陸前高田の玉山金山跡に由来する岩(4.7トン等)が奉納され、据え置かれています。
重盛が黄金を宋の禅僧・仏照国師へ献じたと書きましたが、その黄金を採掘した場所が玉山金山であったとされています。この縁を結ぶため、陸前高田の方々から、玉山金山跡の岩石とヤブツバキが奉納されました。
また、塔の東側には大楠があります。樹齢千年ともいわれ、歴史を見守ってきた古木です。東側には天狗の面が掲げられているので、ぜひ探してみてください。



地域に開かれたギャラリーとくすのき文庫
法樂寺は、昔から地域とつながりの深いお寺です。明治初期の学制下で田辺小学校が開校した際には、境内で授業が行われました。
その姿勢は現代にも引き継がれ、境内には「リーヴスギャラリー小坂奇石記念館」があります。現代的なデザインの建物で、恩賜賞受賞作家の書家・小坂奇石の作品を400点余収蔵しています。
大曼荼羅の御開帳をはじめ様々な催しが企画され、一般の方も拝観できます。開館時間および休館日は催しごとに異なるためホームページ、SNSで確認ください。
また、境内東側の小松院別館「くすのき文庫」は、地域に開かれた集会・学習の場として利用されています。コーラスや御詠歌、写仏教室などが開催されています。
建物昔ながらの竈があり、普段は非公開ですが、年末の大根焚などの際に使用されています。




法楽寺横門は、なにわの伝統野菜・田辺大根の最高ブランド
田辺一帯は、江戸期に「田辺大根」の産地として知られました。一度は廃れたものの近年復活し、学校栽培など普及の取り組みが続いています。
法樂寺の西門は「横門(よこもん)」と呼ばれ、その付近で採れた田辺大根は格別に味が良い「横門大根」として珍重されました。
法樂寺は田辺大根ゆかりの寺で、境内には碑があります。地元の有志が栽培を行い、終い不動(年末の縁日)には「大根炊き」が行われます。田辺大根にちなむ出店もあります。




難波大道と法樂寺の立地(古代の幹線と寺の意味)
法樂寺の西側門の傍らには、「難波大道(なにわだいどう)」と書かれた掲示物があります。境内の立地を考える手がかりになります。
難波大道は、難波宮から南へ延びた日本最初の官営道路とされます。堺市内での発掘調査によれば、その幅は16メートルほどありました。都と丹比(河内)方面を結ぶ基幹路で、さらに奈良の飛鳥へとつながったといいます。
難波宮朱雀門跡(中央区上町)と、松原市天美西の大道跡を直線で結ぶと、法樂寺境内の西側を通る筋に当たります。法樂寺は、古代の交通結節として人の往来があった場所、すなわち信仰が行き交う背景をもつ立地でした。
さいごに
いかがでしたか?法樂寺には、平重盛の創建とされる「怨親平等」の縁起、織田家殿舎移築という建築史、さらに古代の難波大道といった歴史の手がかりがあります。
一方で、リーヴスギャラリーやくすのき文庫、田辺大根など、現在も地域のよりどころとなっています。
法樂寺では毎月21日に弘法大師縁日と写経会、28日に田辺不動の縁日(護摩法要)が行われます。28日の「不動明王祈祷護摩」は午前11時・午後2時、21日の「写経会」は正午から午後3時です。写経は志納(500円)です。
基本情報
真言宗泉涌寺派大本山「紫金山 小松院 法樂寺」
通称:田辺不動尊
所在地:大阪市東住吉区山坂1-18-30
開門時間:6:00〜17:00
納経・御朱印の受付時間:8:00〜16:30 等
アクセス:JR阪和線「南田辺」徒歩約4分、Osaka Metro谷町線「田辺」徒歩約8分
参考・出典(主要)
1) 法樂寺公式サイト(http://www.horakuji.com/)
2) 大阪市「東住吉100物語」073(法樂寺)
3) 文化遺産オンライン「絹本著色不動明王二童子像(大阪・法樂寺)」
4) 東海新報(2019/5/29)「玉山金山の岩とツバキ奉納」
