「まちづくりとは何ですか」と尋ねられたら、まちを持続させようとする意思とその行動だ、と答えます。しくみ、法・制度は、意思と合意によって結果的に成り立つものです。自分が住むまちがだめになれば他に住めばよいという簡単なものでもありません。
そして意思を持つためには学びが必要があり、教育が大事になってきます。地域医療に取り組む長野の佐久地域の方々が、まちづくりというのは教育だとおっしゃっていたのは、まさにこのこと。地域の小学校で田辺大根栽培やまち歩きを続け、また高等学校の学校協議会に参加しているのもその実践のために必要なことだから。
都市のことを知る
ところでまちづくりを考える上で、都市とは一体どのような性質のものか知っておく必要があると思います。都市計画の古典なども様々に示唆を与えてくれます。先達に教えられ私が身につけた言葉は次のようなことです。
「都市とは人が集まって暮らす場所である。そして分業しており、共同で財やサービスを使用しあるいは消費している。集まることによる利益もあれば不利益もある。」
40年がかりでたったそれですかと言われそうですが、このことを原点にすえて様々な課題を読み解いたり、方針を立てたり、行動を律したりします。集積により生じる都市問題も含めて企業は事業活動を考えねばなりません。それが都市です。
まちを観る2つの視点
分業している人やなりわいは相互に作用します。福祉からのまちづくりもあれば、リノベーションによるまちづくりも、まちのどこかの部分を担って、互いに補完していることになります。そのように俯瞰的に見ることも大切で、ランドサット感覚で観なさいとある詩人から学びました。同時に、歩き、話しを聴く、地を這うようにまちをとらえることは、ミクロスコープ感覚と呼んでいます。
ランドサット感覚は望遠鏡で広い宇宙を観察する、ミクロスコープは顕微鏡で拡大して小さなものをくまなく探す。その二つは両輪です。言葉遊びのようですが、行動を概念として身につけておくことも便利なものです。普段からそのようにまちを観察しています。
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